競艇(ボートレース)の歴史・起源とは?主な出来事や年表を解説

こんにちは、ボートリーマンです。

「ボートレースはどこでどうやって始まったの?」
競艇の起源や歴史を知りたい!」

競艇をやっている人はふとこのようなことを思ったことがあることでしょう。

島国である日本に競艇というレースがあるのは当然のことのように思いますが、一体どのようにして始められたのか知っていますか?

賭博は法律で禁止されているにも関わらず、競艇は国土交通省によって開催されているなんて矛盾していますよね。

そこで今回は、「競艇の歴史」について詳しく解説していきます。

競艇は生まれた経緯や日本だけでなく世界の競艇の歴史についても紹介していきますので、これを読めばもっと競艇を好きになること間違いなしです!

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そもそも競艇とは?

競艇は、競馬や競輪、オートレースなどと並ぶ「公営競技」です。

公営競技とは、公的機関が「ギャンブルだけどやってもいいよ!」と認めて開催しているプロスポーツになります。

始めにも言ったように競艇は、「国土交通省」によって開催されており、その目的は各地域の復興や造船関係の産業を振興することです。

一応そのような大義名分があるからこそ、競艇というギャンブルはやってもいいことになっているんですね。

そんな競艇の基本的なルールについては、以下の記事で分かりやすくまとめてあります。

【1分で分かる】競艇のルールとは?やり方をわかりやすく解説

競艇の歴史

日本の公営競技は、「中央競馬」「地方競馬」「競輪」「オートレース」「競艇」の5つですが、その中でも競艇は最後に公営競技として認められました

  • 競馬 → 戦後1946年に復活
  • 競輪 → 1948年
  • オートレース → 1950年
  • 競艇 → 1951年

この中で唯一、競馬は戦前から公営競技となっていましたが、それ以外はどれも戦後すぐに公営競技になっています。

それでは、競艇の歴史について紐解いていきます。

競艇はなぜ生まれたのか

競艇が公営競技の1つとして認められた理由は、モーターボート競走法に記載されていますが、

モーターボートその他の船舶、船舶用機関及び船舶用品の改良及び輸出の振興並びにこれらの製造に関する事業及び海難防止に関する事業その他の海事に関する事業の振興に寄与することにより海に囲まれた我が国の発展に資し、あわせて観光に関する事業及び体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に資するとともに、地方財政の改善を図るため

モーターボート競走法

となっています。

簡単に言うと、船舶の製造事業の振興や国の経済の発展、また地方財政の改善のために始められたということです。

競艇を含む公営競技は、参加者の賭け金のうち25%を運営側がもらいます。

そのお金は、運営費や選手への賞金だけでなく、日本財団や自治体などにも配られています。

1951年というとまさに戦後まもない時代ですから、日本財団や自治体にお金が還元されるようにして、戦後の財政難を乗り切るために生まれたってわけですね。

このモーターボート競走法は、笹川良一という人物が中心となって制定されました。

笹川良一

つまり、競艇の生みの親は「笹川良一」さんと言っても過言ではないでしょう。

一方、世界で見てみますと、世界で初めてモーターボートが行われたのは1861年で、場所はパリのセーヌ川でした。

パリでは、日本で競艇が始まるよりも90年も前にモーターボートが生み出されていたんですね。

競艇の歴史年表

では、日本の競艇の歴史を年表で見ていきましょう。

1951年
モーターボート競走法が制定される
戦後の復興を目的とし競艇が公営競技の1つとして認められ、笹川良一らが中心となってモーターボート競走法が制定される。
1952年
大村競艇場で初レースが開催される
長崎県の大村競艇場で、初レースが開催される。この年に開催された競艇場は、大村競艇場・津競艇場・芦屋競艇場・若松競艇場・児島競艇場・丸亀競艇場・尼崎競艇場・びわこ競艇場の8ヶ所。
1961年
フライング艇に対する返還欠場が実施される
フライング艇に対する返還欠場の制度が実施され、現在のスタート方式が確率される。
1966年
「鳳凰賞競走」が開催される
現在の「総理大臣杯」の前身である「鳳凰賞競走」が第1回が3月に開催される。また、この年から競艇レースのテレビ放映が始まる。
1985年
電話投票が開始される
平和島競艇場で、初の電話投票の受け付けが始まる。
1986年
初の1億円レーサー誕生
住之江競艇場で第1回賞金王決定戦が開催される。優勝賞金は3000万円。優勝下のは「彦坂郁雄」でこの年の獲得賞金が1億円を突破する。
1988年
グレード制と持ちペラ制が導入される
グレード制と持ちペラ制が導入される。またこの年は、競艇界の不祥事や、江戸川競艇の不正事件などが発覚し、激動の1年となる
1991年
スタート練習の廃止、優勝戦が3周となる
スタート練習(「スタート展示」で現在は復活している)が廃止され、優勝戦が4周から3周に変わる。また、競艇の売上高が過去最高を記録し、公営競技全体の25%を占める。
1997年
ナイターレースが開催される
初のナイターレースが桐生競艇場にて開催される。
2000年
3連単が導入される
この年、公営競技の中で初めての三連勝単式投票券(3連単)が住之江競艇場にて導入される。
2001年
ネットでの投票が開始される
インターネットでの投票が始まる。また、ボートレーサー養成所である「やまと競艇学校」が開設される。
2010年
減音モーターが導入される
宮島競艇場で減音モーターが導入され、これ以降全ての競艇場で減音モーターが使用される。
2012年
新プロペラ制度が導入される
新プロペラ制度が導入され、それまでの「持ちペラ制」が廃止される。よって、選手はモーター備え付けのプロペラを使用することとなる。
2014年
賞金王決定戦が2ステージ制度になる
賞金王決定戦が2ステージ制度に変更される。またこの年は、各レースの名称やグレードなど様々な変更が行われる。

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競艇の起源から現在までの主な出来事

競艇の歴史年表を見て流れがなんとなく理解できたかと思いますので、ここからは主な出来事を詳しく紹介していきます。

1951年 – 日本で競艇がスタート

さっきも言ったように、競艇はこの年に公営競技に追加されました。

そして、6月18日に「笹川良一」らによって制定されたのがモーターボート競走法です。

日本国政府国章(準)

日本の競艇の歴史は公営競技の中では一番浅いですが、それでも約70年の歴史があるんですね。

また、10月からは長崎県の大村に選手養成所ができ、競艇選手の養成がスタートしました。

1952年 – 初レース開催

大村競艇場

この年の4月6日、長崎県の大村競艇場で競艇の初レースが開催されました。

日本の競艇初レース、その歴史的瞬間を見てみたかったですね。

当時の入場料はなんと20円!今はだいたい100円なので、その5分の1の値段でした。

そして、大村競艇場に次いで、津競艇場・芦屋競艇場・若松競艇場・児島競艇場・丸亀競艇場・尼崎競艇場・びわこ競艇場の7ヶ所で競艇嬢でも開催されました。

1959年 – 「艇王」彦坂郁雄がデビュー

この年、のちの競艇界の歴史に名を残す選手がデビューしました。

その選手とは、「彦坂郁雄」です。

競艇に詳しい人は名前を知っているかもしれませんね。

彦坂郁雄は「艇王」という異名をもった競艇界のレジェンド的存在の選手でした。

また、現在採用されている得点率制度はこの1959年から使用されるようになりました。

そんな「艇王」彦坂郁夫さんの記事も合わせて参照下さい。

【艇王】と呼ばれた競艇界のレジェンド彦坂郁雄さんの壮絶な競艇人生

1961年 – フライング艇の舟券返還制度を導入

4月1日から、フライング艇の舟券返還の制度が導入されるようになりました。

スタートの瞬間

スタート方法は現在の競艇の大きな魅力の1つになっていますよね。

そんなスタート方法は、この年にできたんです。

また、この年の6月6日、蒲郡競艇場で「艇王」彦坂郁雄が初優勝を飾りました。

1965〜1966年 – 「鳳凰賞競走」がスタート

ボートレースクラシックの通称で知られる競艇のSG競走の1つ、鳳凰賞競走が始まりました。(現在の総理大臣杯)

開催されたのは平和島競艇場で、優勝賞金は150万円でした。

また、この1965年には戸田競艇場で初めてレース中継の場内放映を行いました。

そして、翌年の1966年には、競艇がテレビ放映されるようになりました。

経済の発展や技術の進歩とともに、競艇もより多くの人に楽しんでもらえるよう変わっていったんですね。

1985年 – 電話投票がスタート

5月26日に、平和島競艇場で電話投票がスタートしました。

平和島競艇場

それまでは競艇場へ直接行って舟券を購入するしかなかったため、電話投票の導入は競艇業界の売上を大きく上げることにつながりました。

1986年 – 1億円レーサー誕生

この年、競艇界初の1億円レーサーが誕生しました。

その選手とは、「艇王」の彦坂郁雄です。

彦坂郁雄は、5月26日に住之江競艇場で開催された第1回賞金王決定戦で優勝しました。

優勝賞金は破格の3,000万円!すごいですね〜

彦坂はその他のレースでも優勝をし、この年の年間獲得賞金が1億円を超えたのです。

またこの年は、今では当たり前になっている展示タイムの公表を始めた年でもありました。

1988年 – グレード制、持ちペラ制を導入

1988年は、グレード制と持ちペラ制の導入といった変革の年となりました。

グレードとは簡単に言うと大会のランクで、以下のように分けられています。

グレード年間回数出走条件主なレース
SG8回レースによって異なるグランプリ
ダービーなど
G1約35回A1級レーサープレミアムG1
周年記念など
G2約8回特になし秩父宮妃記念杯
モーターボート大賞など
G3約50回特になしオールレディース
企業杯など
一般戦毎日特になし上記以外のレース

そして、持ちペラというのは、競艇選手自身がボートのプロペラを作成してレースで使用できるという制度です。

そのため、多くの選手はレースで勝つためのプロペラの研究などを行うようになっていきました。

またこの年は、選手の起訴問題や不祥事、競艇場の不正事件などが相次いで発覚するなど、良くないニュースもたくさんありました。

1991年 – スタート練習廃止、優勝戦を3周に変更

1991年も、競艇のいくつかのルールが変更される大きな年となりました。

まずはそれまで行われてた「スタート練習」が廃止されたことです。

現在は「スタート展示」という名前になり復活していますが、この年から約10年間スタート練習が見られなくなったのです。

そして、以前までは優勝戦だけは4周していましたが、他のレース同様に3周に変更されました。

それまで長年競艇を楽しんできていたファンにとっては驚きの連続だったことでしょう。

また、この年は競艇の売上が2兆2,137億円を記録し、公営競技全体の25%を占めました。

競艇業界の盛り上がりを見せ始めた年とも言えますね。

1996年 – 植木通彦が年間獲得賞金2億円を記録

この年、植木通彦選手が競艇選手として初の年間獲得賞金2億円を記録しました。

植木通彦

年間2億円稼ぐってやばいですよね。

また、この年の後半には一般戦が「進入固定競走」で実施されるようになります。

今では全国のいろんな競艇場で行われている進入固定競走ですが、この年から始まっていったんですね。

1997年 – ナイターレースを開催

1997年には、競艇のナイターレースが開催されました。

初めて行われたのは9月20日の桐生競艇場でした。

ムーンライトレース(ボートレース蒲郡)

ただ、それからすぐに他の競艇場でも行われるようになったわけではありません。

  • 蒲郡競艇場 → 1999年〜
  • 若松競艇場 → 2004年〜
  • 住之江競艇場 → 2006年〜
  • 丸亀競艇場 → 2009年〜
  • 下関競艇場 → 2017年〜
  • 大村競艇場 → 2018年〜

というように、ナイターレースが開催されるようになった時期はバラバラです。

2000年 – 3連単を導入

2000年に入ると、3連単が導入されます。

競艇の予想をしている私からしたら、この3連単導入はマジで嬉しい出来事です。

三連勝単式投票券(3連単)は10月13日の住之江競艇場でのレースにて開始しましたが、公営競技の中では一番早く導入されました。

3連単とは

1着と2着と3着に入る3艇を全て当てる予想のこと。

2001年 – インターネット投票を開始

2001年には、ついにインターネットでの投票が開始されます。

今では私も含め多くの人がネット投票をしていると思いますが、この年から始まったんですね。

技術の進歩、素晴らしいです。

またこの年は、ボートレーサー養成所である「やまと競艇学校」が開設された年でもあります。

2002年 – スタート展示が復活

この年は、1991年に廃止された「スタート練習」が「スタート展示」として復活しました。

スタート展示

また、1996年に年間獲得賞金2億円を超えた「植木通彦」が、この年は2億8千万円を手にし、史上最高の獲得賞金となりました。

2010年 – 減音モーターを導入

2010年になると、モーターが変わります。

エンジン

競艇のレースではボートの騒音の問題などがあったため、この年から減音モーターを導入することになりました。

9月9日の宮島競艇場で初めて減音モーターが導入され、それから全国の競艇場でも減音モーターが使われるようになっていきました。

2012年 – 「持ちペラ制」を廃止

この年、プロペラの新しい制度が導入されました。

プロペラ

以前は「持ちペラ制」でしたが、これが廃止されることになります。

これにより、競艇選手はモーター備え付けのプロペラを使用することとなり、以降は選手がプロペラを加工したり変更したりすることができなくなりました。

2014年 – 賞金王決定戦を2ステージ制度に変更

2014年は、様々な大会の名称や、賞金王決定戦のルールなどが変更された年になりました。

具体的には、

賞金王決定戦2ステージ制度に変更
ヤング戦線ヤングダービー競走に変更
オール女子競走オールレディース競走に名称変更
女子リーグ戦ヴィーナスシリーズに名称変更
ヴィーナスシリーズGIIIから一般戦に格下げ
オールレディース一般戦からGIIIに格上げ
競艇名人戦
女子王座決定戦
新鋭王座決定戦
賞金女王決定戦
プレミアムG1に位置付け

などの変更がありました。

このような歴史があって、競艇は今のような仕組みになったんですね。

まとめ

いかがでしたか?今回は、競艇の歴史や起源について紹介しました。

競艇の歴史をかなり詳しく説明したので、あなたも理解が深まったと思います。

私ボートリーマンは競艇人気がますます高まり、もっと盛り上がっていくことを期待しています。

一緒に競艇業界を活性化させていきましょう。

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